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岬にある「岬」という名の店◆三輪流カフェバー放浪記[01]・2006年1月

 2014-04-09
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こんなシリーズをスタートさせてみようと思う。
BS-TBSの人気番組、「吉田類の酒場放浪記」に引っ掛けたのだけど、ねっ☆[゜ー^]

「店」というと、まず脳裏をよぎるのが、ギリシャの孤島で出会った店。
それはまるでイメージの原石のように、
いつまでも鮮明な映像として心に焼き付いているのだ。


その店の名前も主人の顔も覚えていない。でも半分崩れかかったような外観、
壊れかかったイス、ボロボロだけど重厚なテーブル、
そして強い外光によって黒く塗りつぶされたような店内から望む真っ青な海が、
心地良いイマージュとして残っている・・・。

その日は島巡りで、とある小さな島に上陸した。
観光客がみやげもの屋を目指すのを尻目に、僕だけはどんどん先を歩いていた。
その島の持つ情緒に、まずは浸らなければと。
道沿いに登り、ギリシャらしい不思議でエキゾチックな光景を眺めつつ、
とある丘の上まできた。

そこに崩れかかったように、その店があったのだ!
・・・BARのようだった。

一見朽ち果てているようでいて、でも何とも言えぬ郷愁をそそるその外観と小屋の中。
ひっそりとしてはいるが、いちおう自然体で営業をしていた。
地元の客が一人ポツンと酒を飲んでいた。
人がたくさん入らなければ店を維持できないという「世知辛い現実」は、ここでは皆無だった。

潮風に吹かれて佇み、生き物が呼吸するようにそのBARは、「ただそこにあった」・・・。
その哀愁漂う空気感がとても良かった。そして開け放たれた窓から、
自由で伸びやかな居心地のいい風が吹き抜けていた。

そこで1杯のウイスキーを気持良く飲んだ記憶が、
僕の脳裏に「強烈な残像」として残る事となる。


そんな店が、この日本のどこかにもあるのではという期待。
いや絶対にあると確信しつつ、旅の目的の一つとして、捜しながら、
ブラリと日本中を旅しているのかもしれない・・・。

第1弾は、そんなイメージをちょっと感じる店からスタートしてみよう。

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内房を軽く流している時だった。
ガイドブックにほんのちょっと記されている店の情報から、何かピンとくるものを感じた。
何よりも「岬」という名前に、不思議な郷愁を感じたのだ。
行ってこの目で見、触れたい。でなければ、何も生まれない。
「旅」は、このほんのちょっとした好奇心から始まる。

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その情報にはこう記されていた。
山小屋風の建物はお客の手創り。
夕陽がことの他美しく、コーヒーも鋸山の沸き水でいれるので独特のコクがある。
夕方からは潮騒を聞きながらのBARにもなる。
そして極めつけは、
故ジャック・マイヨール氏がこの店に来た時に描いた絵が飾ってあると・・・。

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内房総の浜金谷駅から3kmぐらいの所だった。
陽の光と風を一身に浴びる、そんな岬の突端にあるロケーションは申し分ない。
うるさい車道からちょっと奥まっているだけで、こんなにも詩情があふれるのかと・・・。

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ふっと店が現れた。それは一見ボロボロなのだけど、
何かとても懐かしいものに出会ったような不思議な感動を覚えた。
青く塗った壁の色といい、
まるで小屋自体がそのまま生き物のように
潮騒の中に息づいていた。


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中に入ると、小さく可愛らしい店内から海が望めた。
そして席に座り、さっそく一杯のコーヒーを。

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そこは「ガラクタ=宝物」の山に埋め尽くされていた。
B・ディランのアルバム、J・ディーンのモノクロピンナップ、ロックの匂い、貝殻、ギター、
民俗楽器、優しい犬、野良ネコ、JAZZ・・・。
潮風に吹かれながら、あらゆる時代と要素がシャッフルされ、呼吸し続けている。

店の女主人に、『いい店ですね』と言った。
コーヒーの味も確かだった。30年前からやっているという。
30年前・・・僕がまだ多摩美の学生だった頃だ。
オールナイトの学園祭の模擬店が、ふと脳裏をよぎる。

今では更にそうだけど、模擬店に泊り込みの出来る学園祭なんて日本中見渡しても
そうそうあるもんじゃない。多摩美ぐらいだ。
当時からそこにとても愛着を感じていた。

友人達と本格的なカレー屋を造った。何十種類ものスパイスの香りが漂う、
素朴でアンダーグラウンドな雰囲気の小屋の中。
客なんて来ようが来なかろうが、そんな事なんてどうでもいい、と。
自分達が納得できればそれでよかった。。
何とも妖しげな民俗音楽が流れ、「闇の店」として息づく・・・。

演劇部の芝居を見た後、団員から花魁(おいらん)のような衣装をふんだくり、
夜、体育館でやっていたロックコンサートになだれ込み、
それを羽織り、最前列で踊り狂っていたあの日。

模擬店に泊まり込み、真夜中の硬質な闇の中で見た、
スポットライトに浮かび上がる全裸の舞踏家たち・・・。
目の前で繰り広げられる、自然発生的で過激なパフォーマンス。

ステレオタイプ的に社会に絡め取られる事を嫌う、
鋭く尖がった若き芸術家の卵達のうごめき・・・。


八王子の山の上にある校舎の周辺で、その夜イマジネーションの萌芽の場として、
「暗闇で光る豹の眼」のように、それらが爛々と輝いていた。
「前衛」というものを希求する熱のようなものが、まだかろうじて残っていたあの頃。。
僕の内なる店の理想形は、実は「あの頃」に形成されていたのかもしれない・・・。

「岬」とは突出したエリアの事。
そこは感性と時空間の「エッジ」でもある。


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岬には どこか不思議な郷愁がある
そしてその店は 
ひっそりと呼吸するかのように ただそこにあった
30年に渡る歴史も 
窓から眺める海も 通り過ぎる時代も
ここでは色褪せることなく 潮騒の中に息づいていた

────────────────────────────────────────

今から8年前の旅の1コマだ。この店がまだ存在しているかどうかは知らない。
ネットで調べれば分かる事かもしれないけど、それでは余りにも情緒がなさ過ぎる。
今の時代に氾濫する、「便利」「情報過多」「バーチャル」というのは、
時として「面白くない」と同義語になる事だってあるのだ。

こういうのがいい。再度、記憶と当時のメモを頼りにその店に行ってみる。
懐かしい潮風と陽光を浴び、期待と喪失の両方のハザマの中でその地に立つ。
果たして残っているだろうか?
・・・まだ営業していてほしい。そして店の女主人に『久しぶりです』と挨拶し、
その間の8年間の歳月の変遷に触れてみたい。


でも、もし何らかの事情で閉店し、人知れず朽ち果てて廃墟のようになっていたとしても、
それはそれでまた違った味わいがあるのかもしれない。

どちらにせよ、それは「風化された時間の再生」として、
何ともいえない珠玉の情感を生むだろう。

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